どう生きれば幸せだろうか?
[ソウル新聞・開かれた世界・2013年12月5日]
ユン・ソンミョン 韓国保健社会研究院 年金研究センター長
1990年に15億人だったアジア・太平洋地域の貧困人口(1日1.25ドル、1350ウォン以下で暮らす人々)が、2008年には9億5000万人に減少した。国連は貧困緩和の努力に意味があったと評価している。貧困減少を目標に掲げたミレニアム・プロジェクトによって、かろうじて貧困人口が減少したからである。問題は、依然としてアジア・太平洋地域の9億5000万人が1日1350ウォン(1か月4万ウォン)も使えず、生活に必要な最小限の食物さえ摂取できていないということだ。アフリカ地域まで含めれば、この数字は急激に増える。
潘基文国連事務総長の諮問委員でもあるコロンビア大学のジェフリー・サックス教授は、地球村の困難な隣人を積極的に助けるべきだと説く。単純な支援ではなく自立基盤の構築が必要であるというのが彼の持論であり、そのために心血を注いでいる。人道的な側面と道徳的な側面での当為感もあるだろうが、工業化が地球に与えた損害を考慮したためだと思われる。無料の昼食がないように、工業化にも代償があった。地球環境汚染がそれである。問題は、環境汚染の当事者と、汚染で被害を受ける側が異なる点にある。地球破壊に大きく関与していないにもかかわらず、わけも分からぬまま環境汚染の被害をそのまま背負って生きる被害者が少なくないからだ。アフリカの自然災害やフィリピンの台風被害のように、地球汚染による被害規模は日に日に大きくなっている。
このような状況において、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最も低い部類にある我々の国民の幸福度、すなわち低い生活満足度は、多くのことを考えさせる。国民の生活に対する満足度が高くないため、自分のせいであることは少なく、大部分が相手のせいとなる。当然、争点となる重要な社会問題の大部分は、他人のせいにされる。どうすれば我々の国民は幸せになれるだろうか。
筆者が最近聞いたエピソードを紹介したい。家計に余裕のない女子高生が、文芸部の賞金として20万ウォンを受け取ったという。相談した教師に、良いことに使いたいので調べてほしいと頼んだそうだ。学校の事務仕事が忙しかったため、使う場所を適時に教えられなかったようである。再び訪ねてきて彼女が言った言葉は、お金を持っているとつい使いたくなるので、先生が預かってくれないかということだった。この生徒はIMF経済危機時にトラックで家族が生活しており、今も一間か二間の月払い家賃の借家に住んでいるという。
学校の文化祭の時に意味のあることをしようと言ったところ、ある生徒が8万ウォンを持って訪ねてきたという。ひとり親家庭で生活に余裕がないにもかかわらず、自分のお小遣いを切り詰めて集めたお金だった。文化祭まで時間があるから持っていて、文化祭の時に出しなさいと言ったところ、しばらくして再び訪ねてきたそうだ。この生徒も、お金を使いたくなってしまったので、先生が預かってほしいと言ったという。結局、先生が預かっていて、「セーブ・ザ・チルドレン」を通じてアフリカにヤギ2頭を寄贈したそうだ。
このような温かい心を持つ我々の子供たちが幸せに生きていける社会的土台を作ってやるべきだと思う。真に大韓民国に生まれたことを、あらゆる面で誇らしく感じられるように、ということだ。国連事務総長を輩出した国家としての国際的な責務も考慮すべき時であると思う。世界10大輸出国としての経済的な地位だけを誇るのではなく、この過程で我々が損なった地球によって苦しんでいる地球村の困難な隣人たちにも目を向けるべき時が来たと思う。
11月下旬、筆者が主宰した国際学術大会に参加したニュージーランド財務省の官僚に発表手当を支払うとしたところ、その手当を台風被害を受けたフィリピン国民に寄付してほしいという提案を受けた。急速な経済発展を成し遂げたとはいえ、我々の周囲には依然として寒い冬に練炭さえ十分に焚けない脆弱階層が少なくない。福祉論争の代わりに、国内外で飢え、人間らしく生きられない人々をより配慮する方向へ、我々の社会の関心が移るべきではないだろうか。その過程で、我々の生活の幸福感も高まるのではないだろうか。
肥満を防ぐためにダイエットに悩む我々の社会。この文章を書いている筆者も、ぽっこり出た腹が恥ずかしく感じられる瞬間である。体型が悪いからではなく、共に分けて食べるべきものを一人で食べたように感じるからだ。
出典:ソウル新聞(原文を見る)
