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年金研究会

国民年金はトッケビの打ち出の小槌ではない

2012.10.24

[ソウル新聞・開かれた世界・2012年10月25日]

ユン・ソンミョン 韓国保健社会研究院 研究委員

福祉論争が真っ盛りである今、国民年金が改めて注目されている。かつては保険料を払っても年金を受け取れないとして忌避対象の筆頭だった国民年金が、このように注目の対象となったのは、潤沢な資金源になり得るからだ。380兆ウォン以上の積立金を保有する国民年金は、いつの間にか世界3大年金へと成長し、今後も相当期間、速い速度で基金規模が増加すると展望されている。状況がこうであるため、我々の社会が直面している様々な問題を解決するために、国民年金基金を活用しようという声が併せて高まっている。

まず、低出生率の問題が深刻であるため、働く親の養育負担を軽減するために国民年金基金で質の高い保育施設を建てようという声が激しくなっている。育児負担が減れば子供を多く産み、国民年金の保険料納付者も併せて増えるため、長期的には国民年金にとってプラスになるのではないかという論理が背景にある。一見妥当に見えるが、国民年金は納めた額より多く給付する構造で設計されているため、追加的な財政安定化措置がない限り、納付者が増えるほど国民年金の財政にとってマイナスになるという事実を考慮していない点で、論理に盲点がある。最近では、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最も高い割合を示す高齢層の貧困問題解決のために、国民年金を活用しようという声も高まっている。

低出生率と高い高齢者貧困率以外にも、我々の社会には簡単に解決することが困難な様々な問題が現れている。雇用なき成長と質の低い雇用の量産による所得の二極化が代表的な例だ。日に日に深化する所得の二極化が勤労期間に限定されるのではなく、老後にも持続するという点に問題の深刻さがある。このように、あらゆる年齢層での所得の二極化の深化は、政府の介入を不可避にしている。

このような文脈において、社会統合および国民の高まる福祉欲求に一定部分応えるための財政支出増加の圧力は、時間が経つにつれてさらに激しくなると思われる。このような状況で、現在我々が抱えている問題の解決のために、将来の年金給付として支出される金を前倒しで使おうという主張は、将来世代に対してあってはならないことだ。現在でさえ財源調達が困難で、将来の年金給付として支出される金を前倒しで使おうという主張が出る状況において、高齢人口が急増する将来には、使うべき金がさらに多くなるからだ。

我々はすでに、国民の老後を借入金に依存していた国家たちの不幸な事例を目撃している。近い日本や南欧諸国が、放漫な年金財政運営によってひどい苦労をしている。様々な誘惑にもかかわらず、国民年金は借金のない経営をしなければならないという教訓を与える場面である。特に、前途が暗い低成長、低出生率、高齢社会においてはなおさらである。国民年金を前倒しで使おうという議論よりも、「低負担・高給付」および平均寿命の増加によってもたらされる年金財政不安定の解消方策に対する共通の認識の形成が急務である背景だ。

我々の世代の高齢者貧困問題は、我々の世代の能力で解決しなければならない。国民年金基金は我々の世代のための金ではない。今多くの金が積まれているからといって、我々が自由に使える金ではないのである。我々よりもはるかに険しい世の中を生きていく我々の将来世代に残してやらなければならない最小限の種銭にすぎない。後の世代のために基金に手を出さない代わりに、少なくない方々が貧困にさらされている現在の高齢者世代には、理解を求めなければならない。十分にお世話したい気持ちは山々なのだが、我々の前に迫る人口高齢化という激しい波を乗り越えるためには、利用可能な範囲内で費用支出を最大限に抑制せざるを得ないと。今よりもさらに強固に基金を積み上げ、我々よりはるかに暗い世の中で生きていく将来世代の負担を軽減してやらなければならないと、残念だが事情が許す範囲内で、より助けが必要な高齢者をより多くケアする方向で行くしかないと、率直に申し上げなければならない。

国民年金は、金が出ろと叩けば金が出るトッケビの打ち出の小槌ではない。今適切に対処できなければ、むしろ債務請求書だけを送りつける、歓迎されない客になり得る。国民の老後に責任を負うべき国民年金が、国民を困窮させる「窮民年金」にならないよう、我々全員が気を引き締めて見守るべき時である。

出典:ソウル新聞(原文を見る)

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