ソウル駅で見た大韓民国の自画像
[ソウル新聞・開かれた世界・2015年7月5日]
ユン・ソンミョン 韓国保健社会研究院 研究委員・高麗大学経済学科兼任教授
日本統治時代の1922年6月に着工し、1925年9月に竣工したソウル駅舎は、日本が朝鮮および大陸侵略の足がかりとして建てた建物で、「小さな東京駅」という別称で呼ばれていたという。駅舎の完成とともに、南大門駅と呼んでいた駅名を京城駅に変更したが、当時の建物の規模と独特の外観により、世間の話題になったという(NAVER知識百科)。ソウル駅は、我が国の鉄道歴史の出発点である京仁線の開通とともに始まった。1905年の京釜線を皮切りに、京義線と京原線が開通しながら、鉄道交通の中心地として浮上した。朝鮮戦争時に駅舎の一部が破壊されるなど、我が国の近代史および工業化過程の生きた証人であった旧ソウル駅舎は、2004年1月に新たな民間資本による駅舎が新築され、閉鎖された。
ソウル駅を中心に地下鉄路線の延長と路線拡充が行われ、ソウル駅は今や我が国の工業化の生きた証人でもある。1974年8月15日にソウル駅と清涼里駅を結ぶ地下鉄1号線が開通した後、首都圏地域へ路線を拡張し、ソウル駅を通じて仁川、京畿、忠清地域まで地下鉄での移動が可能になったからだ。初の地下鉄である1号線の開通日が8月15日であったことも、歴史的に小さくない意味があるように見える。このようなソウル駅が、今では仁川空港と金浦空港に接続する空港鉄道の終着駅として、外国人が韓国に第一歩を踏み出す瞬間に韓国を感じる関門の役割を果たしている。
社会政策的な側面から、ソウル駅が一般国民の関心対象として再浮上したきっかけは、通貨危機だったと思う。1997年の通貨危機以降、我々に新しく生まれた風俗であるホームレスの根拠地がソウル駅だったからだ。カクソリ(乞食)タリョンに代表される、かつての苦しかった記憶が、通貨危機後の大量失業に伴う家庭崩壊、そしてそれによるホームレスの量産へとつながり、今や駅周辺での路上生活は、我々にとってそれほど珍しくない風景となってしまった。「豊かに暮らそう」という目標を達成するための工業化の出発点でもあったソウル駅が、いつの間にか我々の社会に存在する疎外グループを当然として受け入れる場所になっている点も、歴史のアイロニーのように感じられる。
開通から最も時間が経ち施設が老朽化しており、走行距離が長く多くの場所を経由するため、多様な利用客によって最も不潔だという評価を受ける地下鉄1号線は、高齢者が最も多く利用する路線でもある。鐘路3街の無料給食所などを利用する高齢者が多いためだ。年齢を重ねるにつれて身体機能が弱まるため、若い人に比べて高齢者はさまざまな疾患に脆弱にならざるを得ない。疾患に最も脆弱な高齢者が、公衆衛生環境が良くない地下鉄を多く利用しているという事実に注目すべき時が来たと思う。先制的に適切に対応できなければ相当な費用を支払わなければならないことを、我々は最近のMERS(中東呼吸器症候群)事態を通じて痛感している。MERS事態を転機として、公衆衛生の側面から我々の社会の全般的な管理システムを点検すべき時が来たと思う。
何よりも、地下鉄駅と関連施設の衛生状態に対する徹底した点検が必要に見える。膨大な数の人々が利用する公共交通手段であるため、伝播速度も非常に速い可能性がある。少子・高齢社会を迎え、ますます政府の財政余力が低下する状況において、効果的な財政支出が行われるためには、支出の優先順位に対する共通の認識の形成が必要だ。財源が不足しているからと、力のない庶民が主に利用しているからといって、政策の優先順位から押し出されることがないようにしなければならない。
賢い我々の国民は、適切に説明すればすぐに理解する。地下鉄内の空気汚染度管理など、公衆衛生に直結した施設管理に投資し、我々が生きる周辺環境を清潔にすることが、自分だけでなく家族の健康を守る支えになり得るという点に容易に共感するだろう。清潔な状態を維持してこそ、経済学で言う正(positive)の外部効果(価格には明示的に含まれていないが、価格に換算すれば相当な価値がある効果)を容易に実感できると思う。国民全体を不安に陥らせ、相当な経済的損失を招いたMERS事態を経験しており、より容易に共通の認識が形成され得る。
出典:ソウル新聞(原文を見る)
