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年金研究会

フィンランド駅で

2014.10.13

[ソウル新聞・開かれた世界・2014年10月14日]

ユン・ソンミョン 韓国保健社会研究院 研究委員・高麗大学経済学科兼任教授

フィンランドのヘルシンキ中央駅から高速列車に乗り3時間半行くと、ロシアのサンクトペテルブルクにあるフィンランド駅に到着する。ヘルシンキを出発したレーニンが1917年4月16日に到着した場所だ。フィンランド駅の前にはネヴァ川を望むレーニン像がある。ネヴァ川の対岸、イサアク大聖堂の近くには、サンクトペテルブルクを建設したピョートル大帝の青銅製騎馬像が立っている。強国へと飛躍する帝政ロシアの基礎を築いたピョートル大帝と、帝政ロシアを崩壊させた革命の主役レーニンの像が一つの都市に共存している姿を見ると、歴史のアイロニーを感じる。

サンクトペテルブルクは、後進国であったロシアが強国へと飛躍する基盤となった場所だ。当時強国であったスウェーデンとの覇権争いのために、湿地帯に都市を建設する過程で10万人以上の死者を出し、困難を極めて建設した都市である。先進国の造船所で働いた経験をもとに自ら設計し、都市建設を指揮したピョートル大帝の執念が染み込んでいる場所だ。

サンクトペテルブルクの「ペトロパヴロフスク(ピョートル・パーヴェル)」要塞は、激しかったロシアとスウェーデンの覇権争いの生きた証拠だ。スウェーデンとの戦争に勝利したロシアは、後進国から強国へと雄飛し始めた。ロシアとスウェーデンの戦争以前にスウェーデンに属していたフィンランドは、戦争後にロシア領土に編入された。サンクトペテルブルクへ行った理由は、周辺強国の間で独立国家を維持しているフィンランドが置かれた状況を正しく理解したかったからだ。

ロシアが強国として浮上するまで、北欧の覇権国家であったスウェーデンに300年余り支配されていた国がフィンランドだ。ロシアがスウェーデンとの戦争に勝った後は、100年余りにわたってロシアの支配下にあった。1917年12月6日、ロシア革命に乗じて独立を宣言したが、二度にわたるロシアとの戦争を通じて、かろうじて国家の独立を守り抜いた。李舜臣将軍と役割が似ているマンネルハイム将軍の知略により、超強国との戦争の中で国家を保全することができた。フィンランドの知人であるイスモ(Ismo)がヘルシンキのマンネルハイム将軍像の前でロシアとの戦争について詳細に説明してくれた理由が、その時になってようやく理解できた。

人口540万人にすぎないフィンランドが、人口1億4300万人のロシアと960万人のスウェーデンに囲まれて感じる圧迫感は、13億5000万人の中国と1億2700万人の日本に囲まれた我々と類似しているようだ。韓日戦のように、スウェーデンとのスポーツ試合では無条件に勝たなければならないというフィンランド国民の心理状態も理解できた。

フィンランドの人々は、周辺強国に囲まれて生存する過程で、自分たちにシス(Sisu・不屈の精神)が養われたと言う。二度のロシアとの戦争で国家を守り抜いたことも、「100大革新」に代表されるフィンランドの奇跡も、結局はシス精神から生まれたという評価だ(The Finnish Miracle, 2014)。同書に紹介された国際比較は、我々について改めて考えさせる。我が国の労働時間は世界1位だが、国家競争力は22位だ(121ページ)。一方、国家競争力が7位であるフィンランドの労働時間は世界16位だ。効率性と創造性の側面で我々のシステムに大きな問題はないのか、どうすればこれを改善できるかについて、点検が必要に見える。

地政学的条件以外にも、フィンランドと我々には、急速な都市化に伴う都市人口の急増と急激な人口高齢化という共通点がある。周知の通り、フィンランドは国家運営における透明性と国家競争力、将来への準備などで世界最高水準を示している。人口高齢化と低成長などでますます持続可能性が低下する公的年金の持続可能性を高めるため、年金支給額を社会・経済状況の変化に自動的に連動させる調整装置も導入した。

フィンランド駅を離れヘルシンキへ向かう間、強国に囲まれた国であるほど、将来の潜在的なリスクに先制的に対応しなければならないという考えが頭を離れなかった。最近、我が社会の重要アジェンダとして登場した公務員年金などの公的年金改革問題も、結局は急激な人口高齢化に起因しているという事実を認め、迅速に対応策を講じるべきだろう。難しい問題だからと先延ばしにする場合、人口高齢化という巨大な津波に丸ごと飲み込まれてしまいそうだからだ。

出典:ソウル新聞(原文を見る)

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